格安航空会社であり続けるスカイマークの歴史にせまる

スカイマークにはどんな歴史があるの?

スカイマークの歴史を辿っていくと様々な工夫と試行錯誤があり現在の状態があります。
1996年に設立されてから早30年。その間にはどのようなことがあったのでしょうか。
また、スカイマークはどんなところは昔と変化したのでしょうか。

■スカイマークの歴史が知りたい!
スカイマークはもともとエイチ・アイ・エス社長澤田氏らによって設立された航空会社です。
航空業が緩和されて初めて参入してきた第一号がスカイマークでした。当初は羽田~福岡間でのみ運行しておりその後運行ルートをどんどん広げていきました。日本における新規参入は約35年ぶりだとして当時より話題になりました。
スカイマークは当初より他社より安い金額で航空券を販売しており、一時は80%にも上る平均搭乗率を誇るようになりましたが、他社航空会社がスカイマークと同様の値段を対策として販売し始めた頃から搭乗率が下がり赤字に転落しています。その後一時回復し黒字を出すところまではよかったのですが、その後も低迷が続き西久保氏が就任してから2008年3月に一度黒字を出すもトラブルは続き2014年には赤字になりました。その後、臨時取締役会において民事再生法が適用され、申請することを承認し2016年3月28日監督命令の取り消しと信じ再生法手続きが完了しています。

■スカイマークが昔と変わったこととは?
スカイマークは経営的に厳しく予算が見込めないため、関西空港の発着を取りやめ、成田発着便の見直し、宮古島や石垣島からも撤退しています。以前は夏季限定で深夜便も行っていましたが現在ではスターフライヤーの羽田~北九州のみとなっています。スカイマークは借りて運行している機体が多いため、運行ルートもたったの半年に満たないで運休になったルートもあり、長期的に続かない路線が目立っています。その他割引サービスに見ても、以前はあったのに今はなくなることや名前が変更している場合があり、試行錯誤しながら今の状態になってことがうかがえます。

いかがでしたでしょうか。スカイマークという名前は知っていても過去の歴史にまで興味を持ち理解している人は少ないのではないでしょうか。スカイマークは現状破綻しましたが2016年8月には平均搭乗率80%を超えるなど徐々に盛り返し始めています。その結果はすぐには出ませんが今後大きく変化し変わっていくものであるといえるでしょう。
スカイマークのエアバスを見ることが出来なかったのが残念ですが今後また導入したら見てみたいものですね。

スカイマークが最高益から3年で経営難に?

スカイマークは過去最高収益になってからたった3年間で破綻にまで落ちたといわれています。一体その原因は何だったと思いますか?整備士やパイロットが相ついて辞めていっても前進し続けたスカイマークが窮地に落ちた原因とは何だったのでしょうか。詳しく検証してみましょう。

■西久保氏が交渉していた「あるもの」とは?
2014年4月頃~西久保氏はエアバスととあるものの交渉を続けていました。それば「A380」と呼ばれるもので2階建てになっている大型旅客機だといわれています。スカイマークはこの「A380」を6機導入する方向で交渉を続けており、その期間はなんと3か月にも及ぶそうです。すでに導入される日程も決まっており、2014年10月~2019年2月になる予定でした。そんな中2004年7月27日スカイマーク本社に届いたのは購入契約解除の通知でした。2014年3月までに前払い金として約265憶ものお金を支払っており、2015年3月期に500億円以上を支払う予定でした。その後予定と反して赤字に転落したことで支払いが難しくなり、スカイマークから4機の解約と製造途中になっている2機の延期を述べたが受け入れてもらうことはできずに先方から告げられたのは、大手航空会社の傘下に入ることか、多額の違約金を支払うことのいずれかを提示されました。西久保氏はこれに対して拒否し、違約金を支払うこととなりました。この違約金の交渉は2016年3月に確定し、責任を取る形で西久保氏が代表取締役を辞任しています。

■スカイマークはどうして破綻するまでになったのか。
スカイマークがどうしてこういう結果になったかについては憶測しかわかっておらず、独自を貫き通した西久保氏が自治体に頼ろうともしなかったことにも原因はあるでしょう。
過去にも現在のエアドゥやスターフライヤー等規制緩和が行われたときに、参入し、ドル箱の価格競争に負けて現状を悪化させてしまった過去があります。実際にANAにコードシェアで座席販売を頼る形にして現状を保っています。こういった周りの協力が必要な時に、
西久保氏は受け入れなかったことは少なからずスカイマークの存続に関係しています。

航空業界はめまぐるしい発展を遂げる中、今後の生き残り商戦がいかに大切かを物語っています。スカイマークから学べることはたくさんあります。格安航空会社として需要が高い分1日でも早く黒字になるようにしたいところです。現在は裁判も終わり2016年~2018年の経営計画を査定しているそうです。

スカイマークが取り組んだことにはどんな内容が?

スカイマークには1996年に設立されてからの歴史があり、西久保氏が登場することにより、様々な効率化を図り財政難を乗り越えてきました。スカイマークが今現存しているのもこの西久保氏がいるからだと言われています。では西久保氏が取り組んだこととはどんな内容だったのでしょうか。今も格安航空会社であり続けるスカイマークにはどんな秘密があるのでしょうか。

■スカイマークの制服制度の廃止
2009年に行われたスカイマークの制服廃止は当時話題になりました。
スカイマークは新規参入したエアラインの一つとして知られ、CAさんだけでなくパイロットや地上職員のすべてが黒ポロシャツに黒ジャンバーになりました。下に合わせるものは特に指定がなく、見た目に問題がなく業務に支障がなければ何を着ていいことにもなっています。当時、海外ではカジュアル路線の航空会社で同様のことはありましたが、日本でカジュアル路線に変更したのはスカイマークが初めてでした。航空法で緊急着陸時に乗務員との区別がつくようにわかりやすい服装との決まりがあり、黒ジャンバーの背中には会社のロゴ、黒ポロシャツの胸元にも白抜きのロゴが入れられています。そもそもこの背景には西久保社長が効率を重視したことにあるといいます。制服に着替えるコストや更衣室において無駄だと思ったもののすべてを廃止したそうです。

■スカイマークの徹底した効率化
2004年に西久保氏が就任してから、そのほかにも大幅な改革が行われました。機材をB767からB737に小型化することでコスト削減や機内サービスの簡素化に努めました。この当時は機内誌も廃止になりました。そういった西久保氏の努力の甲斐あってスカイマークが黒字に変わっていきます。西久保氏のやり方があわずに退職していった人や、社内にまで影響していたことも先日のスカイマーク破綻につながっているといわれているそうです。

その後も様々な憶測がスカイマークにはありますが、格安航空会社として私たちの生活になくてはならないものです。また、今まで飛行機チケットは高いといわれていたものを変えた人でもあります。スカイマークが飛んでいる一部の路線は羽田~北海道や、福岡などの主要な場所でも以前なら20000円以上が普通でした。飛行機チケットの金額が下がったことで誰でも手軽に旅行が出来るようになったことは革命的なことであり、私達の生活に与えた影響はとても大きいものです。スカイマークの再生と今後に期待しましょう。

スカイマークの今後はどんな変化が?

スカイマークは市江氏が就任し、今後大きく変化しようとしています。利用者の私達からしてもさらにサービスの向上が行われれば嬉しいものですよね。2016年より中長期的にどんな変革をしようとしているのでしょうか。スカイマークの今後について調べてみました。

■2016年秋スカイマークは制服が変わります!
スカイマークでは約2年ぶりに制服が変わることが発表されました。
洋服ブランドのユナイテッドアローズ監修の制服が発表され、2016年秋より導入される予定です。紺色をベースにしたスカイマークのブランドカラーである黄色が施されたスタイリッシュなデザインとなっていて、女性アテンダントさんはジャケット・スカートワンピースやパンツなどの合わせることが出来る3パターンの制服を用意しています。男性アテンダントさんは、ジャケットやシャツ、ネクタイ、ベストを用意し女性同様にスタイリッシュでデザイン性溢れるものとなっています。以前のミニスカートの制服から一新されるので利用する私達からしても楽しみですよね。

■今後のスカイマークはどう変わっていくの?
現在は日本政策投資銀行の元、取締役常務執行委員の市江氏が就任しています。
スカイマークの今後について、スカイマークの持ち味である値段が手ごろであることや、ベーシックなサービスを大切にしていきたいとしています。今後は茨城や神戸のように地域の発展にも尽力していきたいとしています。市江氏が就任してからは定時出発率が93%にまで上がりアテンダントやパイロット、地上職員などそれぞれの役目を大切にしながら見直していきたいとしています。今までだとスカイマークは悪天候の対応に問題があるとされてきたが現在では欠航便が出た際は、ANAやJAL、新幹線等の振替輸送も積極的に行っているので今までのスカイマークのイメージを一新しているといっても過言ではないでしょう。2016年~2018年の経営目標として今後方針を国際線のチャータ便を運航予定となっています。

これからどんどん変化していくであろう、スカイマーク。就任しているトップが変われば会社の中身も変わります。イメージはそうそうすぐに変わるものではありません。大手のようにマイルなどの利用者にとっての利点に参入できない分、他の分野でスカイマークにしかできないサービスや特典を取り入れることが出来るように取り組んで欲しいものですね。また、国際線が運行した時には是非とも利用したいものです。

スカイマークの西久保社長とは?

スカイマークの歴史を語るうえで必ず登場するのが西久保愼一だといわれています。
もともとはIT業界を経てスカイマークの代表取締役になったとして知られ、IT業界のやり方をスカイマークに持ち込む斬新さや、発想力もありスカイマークの再建に尽力した人物でもあります。現在は2015年に民事再生手続申請に伴い代表取締役を辞任しています。
スカイマークの代表取締役として知られる西久保愼一氏とはどのような人だったのでしょうか。

■西久保氏誕生~スカイマーク就任まで
西久保氏は元々大阪府佐野市に生まれ、塗料会社に入社後3年後にIT業界に転職しました。その後、買収や起業に目覚めNTTドコモと提携した「10円メール」が爆発的なヒットを飛ばしたことで財産を得たとしても知られています。2003年エイチ・アイ・エス社長の澤田氏からスカイマークの出資を依頼され、それに対して西久保氏が快諾し資産30億円以上を投じて筆頭株主になっています。その1年後の2004年1月に西久保氏がスカイマークの社長として就任する形になりました。

■西久保氏スカイマーク就任後
就任後は、もともともっていたITの知識やシステムを作れる技術をもって、スカイマークになくてはならない仕組みを作り出しました。運賃の設定から発券までの余計な手続きを顧客のストレスにならないように仕上げないといけないとしシステムを構築しなおしました。2006年には運賃のすべてを見直し、他社と比較して通常運賃でも5~6割に値下げを行いました。西久保氏はIT業界ならではの徹底した成功主義のためやり方に不満をもって整備士が大量にやめてしまいその後、整備関係のトラブルも続いたそうです。さらには、機長があいついで辞めたことで大量欠航なども起こり問題になりました。こういったやり方に関しても西久保氏は徹底した変更を見せずに、
結果としてスカイマークの評判を下げていく結果となりました。その後も、西久保氏が読んでいた読みが外れ、結果を残せずに過ぎていきます。最終的にはA330を導入したことで資金繰りが窮地に達したことも原因だといわれています。

スカイマークが今の格安航空券の地位を守っているのは西久保氏のなした功績でもあり、
また西久保氏の失敗も今後の航空業界において大きな意味を残すことになるでしょう。
IT業界の革命児と知られ賛否両論はあるかもしれませんが、現代はIT業界の目まぐるしい発展もありスカイマークはまた今後大きく変わっていくことでしょう。

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